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【現場を支える人たち②】ベトナム実習生と看取りを越えた日々|味噌なし味噌汁から始まった話

免責事項

⚠️本記事に登場する人物は実在しますが、プライバシー保護のため仮名を使用し、一部情報を変更しています。

コロナ禍のグループホームに、ベトナムから2人の実習生がやってきました。

2人の第一印象は「ベトナムの明るいおひさま」。

施設を行き来する立場だった私が、仕事を通して出会った、ヒバリさんとコマドリさん(仮名)の話です。

👉️シリーズ①はこちら:ハヤブサさんの話

目次

ヒバリさんとコマドリさんのこと

2人はベトナム農村部出身。2人とも農家の祖父母や両親、兄弟、親戚と家族が多い家庭で育ったと聞きました。
母国では看護師として働きながら、祖父母・両親の農業も手伝う生活を送っていたそうです。

学生時代、看護の歴史書で読んだことがあります。
太平洋戦争中から戦後の1950年代頃まで、日本の看護師たちも働きながら家族と田畑を耕し自給自足していた時代があったことを。

ヒバリさんとコマドリさんの暮らしは、そんな時代の日本に重なりました。

ヒバリさんは幼い子どもを残してきたママさん。コマドリさんは夫とともに海を渡り、日本で頑張ると覚悟してきた新婚さん。

それぞれの事情を抱えながら、異国の地で同じ施設の介護の仕事に就いていました。

最初はお互いに驚きの連続だった

2人の勤めるグループホームは、毎食スタッフが手作りした料理を提供していました。

日本人スタッフの先輩から指導を受けて、食事の調理を担当するようになった2人。

  • 味噌のない味噌汁
  • やたらと甘い酢の物
  • 親子丼がオムライス風

教えた先輩たちが「え、これ何?」とビックリ。最初は驚きの連続でした。

けど、ヒバリさんとコマドリさんは真剣です。

毎日母親の手料理を食べて育った私も、一人暮らしを始めた時は「母親と同じものを作っているはずなのに、全く違うものができる…」と戸惑ったものです。

ベトナム育ちの2人。当然、文化が違えば食も違う。無理もありません。

彼女たちは先輩たちがつくる料理を手伝いながら、必死でメモを取り、食べて、少しずつ覚えていきました。

アパートの裏庭を耕した理由

2人が入職してまもなくの頃、入居しているアパートの大家さんから会社に連絡が来ました。

「お宅の入居者が裏庭を勝手に耕している」と。

会社では「え?なんのこと?」「何をやらかしたんだ!」と騒然となりました。どうやらそれは事実でした。

「日当たりの良い土地があるので、苗を植えたら良い野菜が取れます。食事に困りません」
「近くに苗や肥料を売っているお店があったので、たくさん買ってきました」

2人は屈託のない笑顔で答えたそうです。

休みの日に、セッセとホームセンターに通い、農業用具を買い集めて空き地を開墾。
その姿を想像して、スタッフ一同笑いを堪えるのに困りました。

でも、2人の背景を聞いて納得。

幼い子どもや家族を残してきた彼女たちにとって、仕送りは最優先。経費を削減したい。空き地があれば食糧を自作できる。

農家育ちの彼女たちにとっては、ごく自然な発想だったんですよね。

このサバイバル能力の高さと天然さに全員感服。

会社は彼女たちに日本のルールを懇々と指導。大家さんには丁重にお詫びを入れたそうです。

その後、会社の粋なはからいで、ベランダにプランターを設置。2人は野菜栽培を続けました。

気づけば、日本人より美味しくなっていた

時間が経つにつれ、2人の料理は日本の家庭料理に変わっていきました。
「今日のごはん、美味しい!誰が作ったの?」と入居者さんに聞かれるレベルに。

日々の仕事も同じでした。

毎日の体操やイベント、食事作りに洗濯、入浴介助などを、一人ひとりの高齢者に寄り添いながら実施。

屈託のない笑顔と優しいトーンの日本語で語りかける彼女たち。入居者さんにも先輩たちにも「ヒバリちゃん」「コマドリちゃん」と可愛がられていました。

漢字が苦手な彼女たちに、入居者さんが鉛筆で「この漢字はこうやって書くんだよ」と教えたり、方言を教えたり。
認知症の高齢者にとって、「される側」でなく「してあげる側」の彼女たちの存在は良い刺激だったと思います。

施設の行事では民族衣装を着て踊りを披露し、ベトナム料理も振る舞ってくれました。

異文化が、施設に新しい風を吹き込んでいました。

「看取りが怖いです」

高齢者が住まうグループホームでは、老衰による最期を「お看取り」する場面があります。関わる中で、何人かの入居者さんを看取りました。

ある日、ヒバリさんとコマドリさんが打ち明けてくれました。

「お看取りははじめてなので、怖いです」

でも実は、怖かったのは彼女たちだけではありませんでした。

日本人スタッフも、実は看取りを一度も経験したことがなかったんです。

今の日本では自宅で最期を迎える方が少なく、看取りは病院や施設でしか経験できない時代になっています。
夜勤のたびに「もしものことがあったら」と怖さを抱えながら働いているスタッフが、ほとんどでした。

私は、会社・施設長・往診医と事前に話し合いました。もしもの時にどう対処するか。何かあればすぐ走れるよう、体制を整えて全力でサポートしました。

ヒバリさんとコマドリさんには、こう伝えました。

「いつか生まれていつか逝くのは自然なこと。あなたもあなたの家族も同じ。怖いことではない。苦しまず、一人ぼっちで旅立たないよう、いつも接するように見守ってあげて」

2人は先輩スタッフと一緒に、寄り添いながら最後までケアを続けました。決して逃げませんでした。

亡くなった方が施設を出られるとき、ヒバリさんとコマドリさんは休みの日も駆けつけて、静かに見送ってくれました。

どの方も、穏やかに旅立たれました。

看取りのたびにスタッフ全員が確実に成長、仲間としての絆が深まっていったのです。

今、彼女たちは

実習期間を終了した後、ヒバリさんはベトナムに帰国。コマドリさんは夫が勤める会社がある他県の施設で働いているそうです。

コロナ禍で直接の交流は限られていたけれど、しっかりと現場を支えてくれた2人でした。

まとめ

介護現場を支えているのは、日本人だけじゃない。

言葉も文化も食事も違う中で、高齢者に寄り添い、看取りの場面でも逃げなかったヒバリさんとコマドリさん。

本来なら、自国の高齢者は自国民がみるのが筋だと私は思っています。農産物の地産地消と同じように。

でも今、医療も介護の現場も若い日本人スタッフが少ない。来てもすぐ離職してしまう現実がある。

若いヒバリさんとコマドリさんはいずれ、母国の現場でリーダーになるでしょう。

でも私たちはどうなんだろう?

新たな高齢者施設で働きながら彼女たちと過ごした日々を思い出すたび、これから先の未来について思案します。

明るい答えが出せるだろうか?

味噌のない味噌汁から始まった日々が、今も私に問いかけます。

🔗介護現場で出会った人たちの話はこちらも👉️

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この記事を書いた人

15年の看護経験と主婦の視点から、誰もが「ご機嫌さん」でいられる暮らしの仕組みづくりを発信しています。いくつになっても学ぶことはいっぱい。誇りを持って働き、健康に暮らせる未来を目指して、理想をカタチにすべく日々学びながら活動中です。

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